本学会の目標は、ピアノを中心とした演奏表現の共同研究である。
その出発点は、まず演奏、作曲理論、音楽学等の各部門による研究と討論にある。
すなわち各部門の視点から問題を提起し、その検討を通じて音楽をより総合的に考察するのである。
このような総合的理解にもとづく演奏表現の探究は、我が国音楽界において追求されるべき緊急の課題と考えられる。
演奏表現そのものは個々の問題である。しかし、その根本となる楽曲理解においては、作曲家とその作品の歴史的・民族的背景の認識、調性音楽の基本にある機能和声の理解、旋律やリズムの分析等々、除外しては考えられない問題が多い。
我が国の音楽界は、今日表面的には高度化し、国際化したように見える。
また音楽作品の研究、分析、解釈といった専門的追求も、著しい発展を示している。しかし、各部門の研究者が共同で音楽を総合的に研究討論する場は、極めて少ない。
こうしたことへの問題意識を共有する者が集い共同して研究することを、この学会は目指すのである。
1998年4月 演奏表現学会発起人一同
巻頭言
園田高弘
音楽の表現はあくまで個人個人の問題であるが、それは音楽に関係する様々な分野と密接に関わりをもっている。
そうした演奏諸問題について、色々な角度から議論し考察してゆくことは望ましいし、是非とも必要なことと思っている。
音楽というものは、あくまで譜面に記された記号が手掛かりとなる。しかし、それを正確に弾くだけでは、単に音の高低が並べられたに過ぎず、それによって表現が完了したことには決してならない。
このことは理屈では理解しているはずではある。しかし、演奏表現とはどういうことであるかを、徹底的に討論し実践に移す努力は意外となおざりにされている。
音の集合によってフレーズやカデンツが形成され、あるいはその集合によって、楽節が構成されてゆく。
その楽節が結集して緊張が高まり、頂点を形成し、集合された楽節は形式として完結する。しかし、その背景には当然、作曲家の感情と意思があるわけで、それに対する理解と洞察がなければ〈演奏表現〉にはなりえない。
それはそこに何の表情記号が書かれていなくても、当然理解されなければならないことである。
したがって音の高さを正確に並べて演奏するだけでは、音の無機的集合体でしかない。また音楽には和声の変化の裏付けがあって、当然それにも無関心でいられないはずである。
専門的な研究というものは、極めて根気のいる地道な努力の積み重ねによって成り立っている。しかし、個々の分野での研究が、演奏にどのように生かされているかというと、大体演奏する人間というのは技術の習得のみに関わっていて、音楽の諸問題を考えようとはしない傾向があり、実際には相互の分野の意見交換は皆無であって機能していない。
勿論、作曲家とその作品についての知識、作品の構造とそれが作られた時代の背景への関心がなくしては、演奏解釈というものは成り立たない。
以上の現実をふまえて、演奏表現学会は各専門分野の人々がその研究の成果を鋭意披露し、それを討論することによって、演奏にたずさわる人々にも無限の糧を与えることができるのではないかと期待している。